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劇場版2作目公開中『相棒』の奥深さ

テレビ朝日系列の人気ドラマ『相棒』の劇場版2作目が2010年12月23日に公開された。和泉聖治監督の『相棒‐劇場版Ⅱ‐ 警視庁占拠!特命係の一番長い夜』である。キャッチコピーは「あなたの正義を問う。」で、警察組織の不正という刑事物では難しいテーマを取り上げた。
日本では刑事物は人気のジャンルである。そこには警察権力という「お上」を無批判に信頼し、勧善懲悪の安心感を求める日本人の民度の低さが感じられる。これに対して、『相棒』は臓器移植や裁判員制度、学校サイトなど社会的テーマを数多く取り上げ、社会の矛盾や組織の腐敗を描いている。この社会性は劇場版では一層深まっている。
劇場版1作目は2008年5月1日に公開された『相棒 -劇場版- 絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン』である。配給元である東映のこれまでの興行記録を更新する勢いの出足となった作品である。
劇場版1作目ではイラク日本人人質事件が題材となった。人質事件での日本政府の対応、マスメディアの過剰報道、それに乗じた国民的なバッシングに対する問題提起がなされていた。大ヒットが当然視されている人気ドラマの劇場版で、世論を二分した社会的事件を題材にしたことは純粋に評価できる。
劇場版1作目の社会派としての特徴は、単に現実に起きた事件をなぞっている点にあるのではない。日本人・日本社会の底流にあるものを鋭く批判している点にある。本作品が痛烈に批判しているのは日本人・日本社会の非歴史性である。それは過ぎたことにこだわらないことを是とする体質である。過去を水に流す性質を美徳と捉える向きもあるが、暗い過ちを記憶にとどめることなしには学習も進歩もあり得ない(林田力「日本社会の非歴史性が問題だ」PJニュース2010年6月26日)。
過ぎたことに拘らないことを是とする非歴史性は政府や行政にとっては非常に都合が良い。時効や被害者の死亡によって、どれだけの悪事・不祥事が葬られてきたか。真相を明らかにされることも、責任を追及されることもなく、有耶無耶のまま終わってしまったか。本作品でも、ひたすら時間稼ぎをすることによって真相を隠そうとする警察官僚組織の嫌らしさが見事に描かれている。
テレビドラマでは警察庁長官官房室長の小野田公顕(岸部一徳)が回転寿司店で食べ終わった皿をレーンに戻す、お馴染みのシーンがある。劇場版1作目でも「お約束」として使われたが、非歴史性を正当化する官僚組織の論理への伏線にもなっている。あくまで真実を追求する杉下右京(水谷豊)と、非歴史性を是とする小野田・官房室長の対立は『劇場版Ⅱ』で一層深まった。ここではキャッチコピー「あなたの正義を問う。」が重要な意味を持っている。
劇場版1作目では批判の矛先は政府や行政にとどまらない。過熱報道を行うマスメディアや、それに乗せられた国民も同罪である。作品中では報道被害の経験者が「マスメディアも国民も散々バッシングしておきながら、時が過ぎるとパタッと報道しなくなった。まるで事件が存在しなかったかのように」と憤る。
非歴史的な日本人的発想では「いつまでもネチネチと批判を続けないことが美徳」と勘違いした理屈で正当化するかもしれない。しかし本来、他者を強く批判をするからには、それなりの理由と信念が存在すべきである。時の経過によって簡単に薄まるようなものではない筈である。逆に、確固とした理由も信念もなく、いい加減な気持ちで流行のようにバッシングされたならば相手は浮かばれない。ところが、それが日本の実態である。
大した理由も信念もなく、一過性の流行に乗ってバッシングする。内心では行き過ぎであると分かっているが、自分達の行為を直視する勇気はない。だからバッシングはやめるが、過去を反省することなく、事件が存在しなかったかのごとく振舞うしかない。まるで報道被害者も報道被害のことは忘れて明るく明日へ向かって歩むことが幸せであるかのように。
記憶にとどめることも反省もしない非歴史的な日本社会に対する絶望的なまでの怒りが強く感じられた。残念なことに非歴史性は日本社会の根幹をなしているといってよいほど巨大なものである。そもそも戦後日本社会自体が戦争責任をウヤムヤにし、焼け野原から経済大国にしてしまうような前に進むような発想だけで成り立ってきたと言える。もっと遡れば本気で攘夷を叫んでいた筈の維新志士達が文明開化を主導することで明治日本が生まれた。
それだけに日本社会の非歴史性を語るならば絶望も怒りも大きくなる。それに正面から取り組んだ劇場版1作目が見終わってスッキリするような誰もが満足するハッピーエンドとなり得ないことは、ある意味当然である。人気ドラマ『相棒』の映画化である以上、娯楽性の制約はある。日本社会を全否定できない娯楽作品でありながら、日本社会の抱える根本的な問題に向き合った制作者のチャレンジ精神に心から敬意を表したい。
一方で劇場版1作目のイラク日本人人質事件の捉え方については異論や不満も多かった。劇場版1作目では作品内でイラク日本人人質事件と類似の事件が起きている。イラク日本人人質事件自体が多くの論議を呼び、世論を二分した事件である。その事件を前提の異なるフィクションの世界に持ち込み、そこから結論を出そうとしているため、その妥当性について議論された。
劇場版1作目では退去勧告が出された国で反政府ゲリラに拘束された青年の家族が「自己責任」としてマスメディアや国民から激しいバッシングを受けた。激しいバッシングという点で2004年に日本人3名がサラヤ・ムジャヒディン(聖戦士軍団)に誘拐された事件が該当する。映画では露骨にも当時の首相(平幹二郎)が小泉純一郎元首相を髣髴させる髪形となっている。
私は本作品においてイラク日本人人質事件は題材であると考えている。あくまで題材であり、主題とは異なる。映画の主題は日本人・日本社会の底流にある非歴史性を批判することにあると受け止めている。
本作品にとってイラク日本人人質事件は主題に入るための材料であり、現実に起きた人質事件のディテールを再現させる必要はない。実際、本作品ではイラク人質事件と異なる設定も多々ある。それらを見極めることはイラク人質事件を正確に理解する上で有益である。
イラク人質事件では人質に肯定的な立場と否定的な立場で激しい対立が起きた。劇場版1作目の描き方は何れの立場も満足させるものではなかった。便宜上、それぞれ人質肯定派、人質否定派と呼び、議論を整理する。
人質肯定派とは人質、その家族・支持者の思想・行動を肯定する人達という意味である。人質になることを肯定する人という意味ではない。人質擁護派という言葉も検討したが、人質否定派との論理的な対立軸として肯定派とした。また、擁護派とすると、人質や家族が激しくバッシングされて可哀想というだけの方も包含されてしまう。後述のとおり、人質肯定派には人質の行動を正当化する論理があるため、擁護派ではなく肯定派という言葉を使用する。
最初に人質否定派の立場で論じる。劇場版1作目では拘束された人物が批判される理由が弱い点が問題である。人質批判派の批判対象は危険地域で誘拐された日本人全てではない。イラク人質事件では渡航自粛勧告を無視して渡航している。これに対し、劇場版1作目の青年は人道支援活動中に退去勧告が出された。しかも退去勧告が出された僅か数日後に拘束された。好んで自ら危険地域に赴いたケースとは事情が異なる。
より大きな相違としてはイラク人質事件では誘拐事件を解決するために、被害者家族や支援者らが自衛隊の撤退を要求した点にある。誘拐した武装集団に対する批判以上に政府批判に熱を入れるような姿勢が反発を招き、バッシングとなった面がある。これに対して、劇場版1作目には青年の家族が直接、政府を批判するシーンは見られない。
結論としてイラク人質事件と劇場版1作目では状況が異なり、人質否定派の論理では劇場版1作目の青年をバッシングしなければならない理由は存在しない。しかし、作品中では激しくバッシングされている。本作品をイラク人質事件のアナロジーとするならば、人質否定派は理不尽な攻撃をしたことになる。根拠なく人質批判をした訳ではないと主張したい人質否定派にとって劇場版1作目は不満が残る。
次に肯定的な立場から論じる。劇場版1作目では政府の退去勧告が出されたのに退去しなかった点が「自己責任論」の根拠となっている。この論理では政府の勧告に従わなかったならば非難に値するが、そうでないならば問題ないという結論に帰着する。実は、これが劇場版1作目の重要なポイントになっている。
しかし、この論理では政府の指示が全てとなってしまう。政府の方針に反する活動を否定することになる。NGOは政府の政策の範囲内で活動するだけの存在になってしまい、NGOの存在意義を貶めるものである。
実際、イラクでレジスタンスに拘束されたオーストラリアの人道支援活動家ドナ・マルハーンは、イラク派兵を推進したハワード首相(当時)に対し、堂々とイラク撤兵を主張した。再びイラク入りした後の2004年11月25日付ハワード首相宛て書簡では「オーストラリア政府による軍事的な関与と同等の友情と共感の人道的な関与が必要」(I need to balance your Government’s military involvement with a human involvement of friendship and compassion.)と自己の活動を正当化した。
そもそも、主権在民の民主国家において政策を提示・批判することは国民にとって当然の権利であり、義務でもある。仮に被害者家族が自衛隊派兵に賛成していたにもかかわらず、メンバーが人質として拘束された途端に武装勢力の要求に従って自衛隊撤兵に宗旨替えしたならば変節漢として非難に値する。しかし、実際は人質事件が発生したためにマスメディアが彼らの主張を大きく取り上げたに過ぎない。結論として劇場版1作目は表面的には人質肯定派に近いように見えながらも、人質肯定派の真の論理を理解していない。
劇場版1作目は人質事件の描き方としては浅く、その視点でのみ観るならば、人質肯定派にとっても人質否定派にとっても不満が生じる。しかし、劇場版1作目の主題は日本社会の非歴史性批判である。過去に追いやられたイラク人質事件の論点を、このような形で思い出すこと自体が日本社会の非歴史性への抵抗になる。改めて劇場版1作目の奥深さが感じられる。
劇場版1作目から『劇場版Ⅱ』への大きな相違は相棒の交代である。亀山薫(寺脇康文)から神戸尊(及川光博)に交代した。『相棒』において亀山の存在感は大きく、新たな相棒は難しい役どころである。その方向性は亀山退場後、最初に一時的な相棒になった姉川聖子・法務省官房長補佐官(田畑智子)が示していた。
姉川は2009年1月1日放送の「相棒 元日スペシャル ノアの方舟」でゲストとして登場した。これは一人だけの特命係となった右京による最初の放送である。この放送はスペシャル番組に相応しい、どんでん返しの連続であった。
地球温暖化阻止を提唱するエコテロ集団「ジャッカロープ」によるテロによって物語は幕を開ける。しかし、テロの背後には環境問題に乗じて私腹を肥やす政官業の癒着があることが明かされる。さらに約30年前の公害問題まで絡んでくる。前半に登場したヒントが後半の推理に活かされており、長丁場ながら最初から観ていなければ楽しめない工夫を凝らしていた。
米国同時多発テロ以降、「テロとの戦い」が錦の御旗になった感がある。テロとの戦いのためならば人権侵害も正当化できるという危険な傾向が現れている。しかし、『相棒』は極悪非道のテロリストを潰せば平和になるという類の単純な価値観に汚染されていない。一方で過去の公害問題への復讐という動機は積極的には『相棒』らしい社会派、消極的にはマンネリ化と評価が分かれるところであろう。
一時的に相棒になった姉川も「相棒=亀山」の印象が強いために好き嫌いが分かれるところである。法務省キャリアの姉川は、猪突猛進型で「人材の墓場」である特命係に押しやられた亀山とは対照的な存在である。
姉川は肉体派ではなく、頭脳派的な位置付けになる筈だが、推理力の冴え渡る杉下と組む以上、頭脳面ではなく、足で貢献することになる。これは番組の宿命である。しかし、捜査経験のない姉川にできることは限られている。そのため、推理面では相棒というよりも視聴者に説明するためのワトソン的存在であった。それでも最後には犯人にタックルまでするようになった。
性格面では姉川は秘めた情熱を有する人物である。不法投棄の国家賠償訴訟では住民の救済を願い、被害住民の立場に立つ法務大臣を守ろうとする。この点で亀山と共通する熱い人間である。結局のところ、杉下と好対照をなす相棒となるには亀山的にならざるを得ない。姉川のように法務省キャリアという亀山とは対照的な設定にしたとしても、性格や行動は亀山的でないと右京と好対象にならず、『相棒』としては座りが悪い。
姉川のキャラクターは神戸に踏襲されている。警察庁からの出向者である神戸はエリート意識が強かった。一方で『劇場版Ⅱ』の神戸は隠蔽に加担した大河内春樹・首席監察官(神保悟志)に激しい怒りをぶつけた。
『相棒』は右京と相棒の絶妙な掛け合いが魅力であるが、さらに掛け合いを味付けるキャラクターに伊丹憲一(川原和久)率いる「トリオ・ザ・捜一」の面々がいる。しかし、残念ながら劇場版では「トリオ・ザ・捜一」の出番は少ない。劇場版1作目では亀山と伊丹が最初から協力的であるなどドラマの醍醐味が薄まっている。『劇場版Ⅱ』では公安部と組織犯罪対策部に関連する事件であることもあって、刑事部の「トリオ・ザ・捜一」は前作以上に存在感は薄まった。
「トリオ・ザ・捜一」の出番は少ないものの、劇場版1作目では笑いあり、トリックあり(事件解決との関連性は疑問であるが)、深く考えさせるところありと内容は充実していた。社会的テーマとの関連もイラク人質事件だけでなく、タイトルにも使われた東京マラソン、SNSなど盛り沢山であった。
これに対し、『劇場版Ⅱ』では最初から最後まで警察上層部の不正に的を絞った。キーパーソンとなる朝比奈圭子を演じた小西真奈美はインタビューで以下のように答えている。
「彼女は国家権力によって、自分が味わった痛みをなかったことにされてしまう。警察の体制を変えたくても、自分には何の力もない。その切なさや不安、孤独を表現したいという思いで臨みました」(「30代、えい、やってしまえ」しんぶん赤旗日曜版2010年12月26日号)
小西の熱演によって、朝比奈の痛みや悔しさ、無力感は痛いほど伝わったが、映画では彼女が救われたかは分からない。事件の決着も視聴者の想像に委ねられた。それが逆に簡単には解決できない警察組織の腐敗の深刻さを物語っている。
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